7月に入り、梅雨真っただ中ですが、皆さまお元気にお過ごしでしょうか。
今回も、前回に引き続き、ブッダの教えについてお伝えしたいと思います。前回は「般若心経」から、「最高の智慧の完成」を目指し続ける修行こそが、苦から脱し、楽に生きられることにつながるという内容でした。今回は、何か起こった時に、具体的に行う方法を考えていきたいと思います。
ブッダは、私たちの心の奥には、仏心、仏性があり、本来は慈悲に満ち溢れたもので、何の曇りもないものだと言っています。ということは、その本来の自分の心を取り戻せば、私たちは不安や悩みから解放され、幸せに生きられるということです。
また、ブッダは、次のようにも言っています。
「思うことなかれ 思いは自己を不利にし 幸運を遠ざけ 自己の心を打ち砕く」
不幸は、「思うこと」「考えすぎること」から起こるということで、それをしないで済む方法が、四念処(しねんじょ)の実践です。
「四念処」は、瞑想の一種で、観察して気付く瞑想です。
- 身念処 身体は不浄とみる。人間は五蘊(ごうん)から成り立つ存在で、全ての感受は苦となる。
- 受念処 一切の感受は苦とみる→ 人生のすべてのものは苦である(「一切皆苦」)
- 心念処 心は無常とみる→ この世の一切のものは変化して変わってしまう(「諸行無常」)
- 法念処 もろもろの事象は無我とみる→ この世のものは「因縁」で成り立ち、単独で成り立っていない(「諸法無我」)」
たとえば、私のそばの人が不機嫌な態度を取ったとします。荒っぽい言葉もあり、私にはその理由が全く分からない。そのような時に、「私は嫌な気持ちになっている。とても嫌な気持ちです」と、自分の気持ちを自己報告(実況中継)します。そして、その場から離れる時に、歩いている自分の体の動きに意識を向けて、「今、私の右足が前に出ました。次は、左足が前に出ました。右手が・・・。左手が・・・」と、自己報告します。一人になったら、大きく息を吸って吐いて、「わたしは、大きく深く息を吸い込みました。そして、大きく長く吐き出しています」と、繰り返し行い、自己報告します。このように、第三者的に自分の心と体の状態を観察することにより、だんだんと心が落ち着いて来ます。
これは時間が経って、頭の中に過去の嫌なことが出現した時にも有効です。台所仕事をしている時も、「私の手はスポンジを持って食器を洗っています。ゴシゴシと洗って、食器がきれいになっています。とてもいい気持ちです」と、実況中継します。そして、その後に、「過去は終わった。私は過去に振り回されない。これからの全てはうまくいく」と、自己宣言します。この言葉は、自分なりのもので良いと思います。
以上が、「思うこと」「考えすぎること」から離れる一つの方法です。(「心がスッーとするブッダの思考術」(高田明和著)の本を読んで、私なりに実践しているものです)
法念処は、この世の一切のものは、単独ではなく「因縁」によるという事実を観るということです。美しく咲いている花に目を向けると、種だけでは育つことはなかったと思いますが、そこに縁である土壌の養分、太陽の光、水、その他のたくさんの助けがあって、今こうしてうっとりするほど美しく咲いているのだと思います。私たち一人一人も、もちろんそうです。たくさんの「縁」の上で「生かされている」ことを知れば、感謝の思いが出てきます。
「法句経」に次のような言葉があります。
「心が煩悩に乱されることなく 念い(おもい)が乱れることなく、 善悪のはからいを捨てて、目覚めている人には 何も恐れることがない」
私たちの本来の心は、どこまでも続く青い空のように、愛と慈悲の心に溢れています。どのようなことがあっても、自分を責めない、他者を責めない、偏見を持たないで、そのものを真っすぐ見る目と心を持つ、すべての縁に感謝する、自分の目の前のことややりたいことを愛を込めて楽しみながら行う、そのようなことが、今を幸せに生きる上で大事だと思います。
四念処の実践で、不安や悩みから自由になり、もっと楽に生きていきませんか。
今から暑い夏が始まります。どうぞお体を大切にされ、今年の夏をしっかりお楽しみください。ご健康をお祈りしています。
2019年 7月 鴨川美津恵