◇使用済み燃料プールへの注水
3月15日に2号機の圧力が低下したと同時に周辺の放射線量が上がり始め、また定期点検中だった4号機建屋も水素爆発(3号機からの水素が流れ込んだためという説が有力)したため、1Fの多くの作業員が福島第二原発へ避難しました。残った人たちは、自衛隊や消防など外部の人たちの力を借りながら使用済み燃料プールへの注水に全力を注ぎます。
使用済み核燃料は高温を放ち続けるので、絶えず水で冷やし続けなければなりません。燃料プールへの水の補給がなければ、使用済み燃料の熱によって水が蒸発し、水位が低下して、使用済み燃料棒が露出し、自らの熱で溶け始めます。そうなると周囲は非常に高い放射線量となり、人が近づくこともできず、事態が悪化するのを止める手段を失っていきます。使用済み核燃料を水で満たすことができるかどうかが日本の運命を左右することになったのでした。
《3月16日》
4号機建屋で火災発生。3号機より白煙が大きく噴出。
この3号機や4号機の使用済み燃料プールへの注水は外部の応援に頼ることになりました。
《3月17日、18日》
自衛隊ヘリによる3号機使用済み燃料プールへの散水実施。
警察、自衛隊の放水車による3号機使用済み燃料プールへの放水実施。
《3月19日》
東京消防庁ハイパーレスキュー隊による3号機使用済み燃料プールへの放水実施。
《3月20日》
コンクリートポンプ車による4号機使用済み燃料プールへの放水開始。
《3月24日》
各使用済み燃料プールに関し、外部電源からの電源供給、及び冷却ポンプ始動。
ここで、外部電源から冷却ポンプを起動させることができ、事態は落ち着きを見せ始めました。
◇”最悪のシナリオ”
《3月25日》
原子力安全委員会近藤委員長ら『福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描』を菅首相に提出。
当時の菅首相は、原子力安全委員会の近藤駿介委員長に、最悪の事態に陥るまでのシナリオを作成するように依頼し、近藤氏は技術スタッフを集めて3日間でこのシナリオを書き上げました。その内容は、事故が最悪の事態に進展した場合、福島第一原発から170km圏内が強制移転となり、250kmが任意移転の区域となるというものです。250km圏は5,000万人の人が住んでいて首都の東京も含まれていることから、もはや避難というレベルではなく、国家壊滅の危機に至る可能性があるものでした。
〇事故が収束できなかった場合の強制移転の区域(170km)と移転希望を認める区域(250km)のシミュレーション
(菅直人が語る福島原発事故の真実 Vol.02 動画のパネルより)
在日アメリカ大使館は当時、福島第一原発から80km圏内の在日アメリカ人に避難勧告を出していました。日本の20km圏内よりかなり広い範囲です。その理由は福島第一原発4号機の燃料プールに水が入っていないと判断し、危機感を持っていたからでした。
当時の4号機は定期点検中であり、部品の交換作業のため原子炉は運転停止中でした。そこに3号機からの配管を伝わって水素が流入し、建屋が水素爆発を起こしました。4号機の核燃料プールには、新燃料204体と使用済み核燃料1331体が入っています。うち548体が4か月前まで原子炉内で使われていたので、4号機プールの核燃料の熱量は3号機などのプールの核燃料の4倍も高く、水を張っていてもその熱によって一日に70トンもの水が蒸発します。核燃料の持つ熱を冷やすために常時水を補給しなければならない状態でした。4号機建屋が水素爆発し、冷却のための電源確保も困難な中、アメリカは水の補給ができていないと判断したのでした。
プールの核燃料は、鋼鉄製の圧力容器や格納容器の外にあって、守るものがない状態でした。原子炉建屋も水素爆発で吹き飛んでいます。水が蒸発し、プールが空になると核燃料が発火し炎上を始めます。何も守るものがない状態で、プルトニウムやウラニウム、ストロンチウムといった猛毒を含む大量の放射性物質が外部の環境に放出されることになり、もはや人が近づける状態ではなくなり、事故の収束を行う手段も失われてしまいます。4号機だけでなく1号機~3号機も危機的な状況が続き、さらには10kmしか離れていない福島第二原発からも作業員が退避しなくてはならない状況となり、そこでも事故収束ができなくなれば、福島第一原発と第二原発の原子炉と使用済み核燃料の暴走を抑える手段がなくなり、なすがままに放出される大量の放射性物質によって東日本壊滅も現実的なものとなってしまいます。当時の吉田所長も、「東日本壊滅」を意識したと吉田調書の中で語られています。
◇神のご加護
ところが、その水がないはずの4号機燃料プールにはまだ十分な水が残っていて使用済み核燃料を冷やし続けていたのでした。
原子炉の真上に原子炉ウェルという水を張る部分があり、その横に「ドライヤー・セパレーター・ピット」と呼ばれる放射線を発する機器を水中で管理するプールがあって、その2か所に貯められていた水が、核燃料プールとへと流れ込んだことにより、燃料プールの水が減少することを防ぐことができていました。原子炉ウェルとドライヤー・セパレーター・ピットの水は合計で1440トンあって、核燃料プールの一杯分は十分ありました。既存の核燃料プールの容量と合わせると2800トンくらいは確保できていて、一日70トンの水が蒸発しても1か月は持ちこたえることができます。その間に外部電源を回復させてポンプで注水できるようにすれば、ひとまず危機を避けることができます。それでも、余震によって燃料プールが崩壊しないことが前提となりますが、幸いにもそのようなことは起きませんでした。
〇菅直人氏の説明動画より
それでは、なぜそのような場所に水が貯められていたのでしょうか。東日本大震災の約3か月前に、福島第一原発4号機ではシュラウドという原子炉内最大の構造物の取り換え作業が始まりました。大きなものなので、炉内で切断してバラバラにして一つずつ引き上げてドライヤー・セパレーター・ピットに移すという手段が取られていました。シュラウドから発せられる放射線を防御するために原子炉ウイルとセパレーター・ピットに水を張り、すべて水の中で移動させて工事を進めていました。その工事は巨大地震発生の4日前の3月7日に完了し、すべての水も抜かれている予定でしたが、工事の過程で不具合が生じたため工期が全体的に2週間ほど後ろにずれこむことになり、3月11日にはその水はまだ抜かれていなかったということでした。
もしこの工事が計画通りに完了していれば、原子炉ウィルとセパレーター・ピットの水もなかったことになり、燃料プールの水は蒸発してむき出しの燃料が発火し、「最悪のシナリオ」どおりに事態が展開してしまう可能性がありました。これはまったく偶然だったというしかなく、当時首相であった菅直人氏は、「政治家が言う言葉ではないが」と前置きしながらも、「神のご加護があった。」と語っています。
福島第一原発の事故は、周辺自治体に深刻な影響をもたらしました。しかし、これが最悪の事態だったのではなく、「神のご加護」がなければ、日本は亡国の淵にまで追いやられていたということを忘れてはならないと思います。
参考資料
『福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描』
朝日DIGITAL「吉田調書」
動画「菅直人が語る福島第一原発事故の真実」(2014年6月4日)
動画「日本と原発 4年後 法廷上映版」a