南相馬市の受難⑭~脱原発都市宣言~

◇小高・浪江原発計画の取り止め
福島第一原発から20km圏内にある浪江町、南相馬市小高区では東北電力「浪江・小高原子力発電所」の建設計画がありました。昭和42年(1967年)に、浪江町議会が原発誘致を決議し、昭和48年(1973年)に小高町(南相馬市として合併する前の町)も議会で原発誘致を決議しました。そして、昭和52年(1977年)に、国が浪江・小高地点を要対策重要電源に指定し、着々と原発建設に向けて計画を進めていました。平成9年(1997年)には土地売買契約も開始し、その後、漁業補償や環境影響評価等を行って着工のプロセスに入る予定だったとき、東日本大震災と福島第一原発事故が発生し、浪江町や南相馬市小高区の人々は避難を余儀なくされる事態となってしまいました。

これから事態は一転し、浪江町議会においては「誘致決議を白紙撤回する議案」、南相馬市議会においては「誘致決議を破棄し、建設の中止を求める議案」が決議され、浪江・小高原発の建設を巡る状況は絶望的となり、平成25年(2013年)3月28日、東北電力は、当原発計画の取り止めを決定し、国、福島県、浪江町、南相馬市に報告しました。

◇原発交付金の受け取り拒否
南相馬市は小高区が浪江・小高原発の立地計画地であり、原発交付金を受けてきましたが、福島第一原発の事故を受け、平成23年度は受け取りを拒否しています。桜井市長が就任後1年を過ぎたころでした。これは予定地で調査が始まった翌年度から、関係都道府県や市町村に支払われるもので、市町村合併で同市小高区となる前の相馬郡小高町のころから毎年交付されており、1986年以降、総額では約5億円にのぼっていて、本年度は5200万円の交付金の予定でした。しかし、小高区が避難指示区域となって人が住めなくなっている状況の中、これ以上、交付金を受け取ることはできないとして、これを拒否したのでした。これ以降、南相馬市は原発に頼らない町づくりを模索し始めます。その決意として表明したのが「脱原発都市宣言」でした。

◇脱原発都市宣言
南相馬市は平成27年3月25日、脱原発都市宣言を行いました。日本の地方自治体では初めてのことでした。

〇南相馬市のホームページより

市では、東日本大震災に伴う原発事故を克服し、原子力エネルギーに依存しないまちづくりを推進していくことを広く市内外に表明するため、平成27年第2回定例会において「脱原発都市宣言」をする旨を議会に報告し、平成27年3月25日付けで告示しました。

脱原発都市宣言 (平成27年3月25日 告示第29号)
2011年3月11日、東日本大震災により南相馬市は未曾有の被害を受けた。
さらに東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴い6万人を超える市民が避難を余儀なくされ、多くの市民が避難の中で命を落とした。
家族をバラバラにされ、地域がバラバラになり、まちがバラバラにされ、多くの人が放射線への不安を抱いている。
南相馬市はこの世界史的災害に立ち向かい復興しなければならない。
未来を担う子どもたちが夢と希望を持って生活できるようにするためにも、このような原子力災害を二度と起こしてはならない。
そのために南相馬市は原子力エネルギーに依存しないまちづくりを進めることを決めた。
南相馬市はここに世界に向けて脱原発のまちづくりを宣言する。

〇桜井勝延南相馬市長の思い(「菅直人が語る福島原発事故の真実」でのゲストとしての演説/2014年6月24日)
30分を10分に短縮してまとめてみました。

※参考資料
南相馬市ホームページ
東北電力ホームページ「浪江・小高原子力発電所建設計画の取り止めについて」