南相馬市の受難⑤~逃げだすマスコミと世界に発信する市長~

◇30km圏外へ逃げ出したマスコミ
福島第一原発の事故が発生してすぐに市内の新聞社等マスコミはすべて逃げ出し、市役所の記者室の記者たちもいなくなりました。市民がまだ市内に居住していて、市役所も機能しているときに、逃げ出して遠方からの電話取材だけで済ますような記者たちの姿勢に反発するかのように、市長自らがyoutubeで世界へ南相馬の窮状を訴えました。2011年3月24日のことでした。

◇世界へ発信する桜井市長


市長のお話の趣旨はだいたい次のようなことです。

311以降、ご支援いただいている方々に感謝します。現在20km~30kmが屋内退避措置ということで物資が入らず、また政府や東電からの情報も不足しています。市は、市民の自主避難、避難支援を行っています。波の高さが20メートルの津波が南北20kmの範囲で押し寄せ、2.5kmの幅で甚大な被害が出ています。253人の死者、1260人の行方不明者がいます。今、約2万人の交通手段を持たない市民が残っています。現場を直接取材しなければ市民の実情が伝わらない。ぜひ現場に入って伝えてください。コンビニやスーパーはすべて閉まっていて金融機関も閉まっています。食料が足りず、宅配をするにもガソリンが不足しています。市民にとっては兵糧攻め的状況が続いています。市職員は自宅が流され、家族が亡くなっているなかでも懸命に働いています。現在、市内の放射線量は1.5~2.0マイクロシーベルト/hで、比較的低い状況です。水道も低レベルで推移しています。ボランティアの方は、政府が屋内退避措置をとっているので、申し訳ないですが自己責任でお願いします。ガソリンが不足しているのでガソリンなどの燃料も持ちこんでいただけたらと思います。皆様のご協力をお願いします。

この動画は世界中からの反応がありました。世界中ほぼすべての主要マスコミが桜井市長のところに訪れて取材したといいます。南相馬市の窮状を積極的に訴る姿勢に対して、米国タイム誌から、2011年版の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれています。

◇なぜ逃げ出したのか
それにしても、なぜ日本のマスコミは原発事故後、市民が居住し、市役所がまだ機能している場所からいっせいに逃げ出したのでしょうか。このような危機的な状況ほど報道のしがいがあるように思われるのですが、現場に入らず遠方からの電話取材ですませています。後日、桜井市長はこのことについて、二つの理由を挙げています。(2014年6月4日 「菅直人が語る福島原発事故の真実」の集会でのゲストとしての話から引用)

一つは、ただ単に臆病だから。
もう一つは、マスコミが電事連(電気事業者連合会)から毎年600億ものスポンサー料をもらっているので、原子力災害の現場を取材することを控えたのではないか。

真相はわかりませんが、世界中のマスコミが取材に来る中で日本のマスコミが現地に入らないというのはやはり異様だと思います。ほぼ全員がサラリーマン記者であるならば、会社としてかわいい社員を被ばくさせたくないという意思が働いたという理由は成り立つと思いますが、一方で、ジャーナリスト魂に掻き立てられる記者はいなかったのかという思いもあります。現実に、海外からは「こんな時こそ歴史的場面に立ち合えるチャンス」とばかりに多くの記者たちが南相馬市にやってきているのですから。

◇ジャーナリスト魂
2004年、イラクで銃撃されて命を落とした宇部市出身のジャーナリスト、橋田信介さんがご存命だったら、こんな時こそどんなことをしてでも30km圏内に入って取材をしただろうと確信を持って言えます。彼はその場所、その時でなければ得られない貴重な空間を切り取って世界に発信することに命を賭けていました。そんな人がこのチャンスを見逃すはずがないと思います。
それにしても、逃げた記者たちは特に悪びれる様子もなく、50km圏外に出て来るのなら取材してあげるなどと言う記者もいたということです。橋田さんが聞いたらどう思うでしょうか。
彼らは状況が落ち着いた6月ごろに南相馬市に戻ってきました。住民説明会などで大勢の市民から市長が叱責、罵倒される状況を見て、「市長は逃げるんですか」などと平然と詰問してきた若い記者がいたそうです。市長は逃げたことはないのですが、そのような事態を面白おかしく伝えたりするような、原発事故で逃げ出した記者たちに、市長は答える義務はないと思ったということでした。(平成26年3月3日、東京・内幸町の記者クラブの記者会見での市長発言より)