幸せに生きるには(お話)

桜の季節はあっという間に終わり、初夏のような暑い日差しの中で、ツツジが美しく咲いています。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

今回は、17世紀の哲学者 ベネディクトゥス・デ・スピノザ(1632~77)の著書「エチカ」から、その一部をお伝えしたいと思います。

(國分巧一朗教授の解説より)スピノザはオランダ生まれのユダヤ人でしたが、考えの違いからユダヤ教徒と決別し、異端、無神論者とののしられ、生涯名声を得ることはありませんでした。

死後出版されたのが、「エチカ」です。

「エチカ」は、ギリシャ語の「エートス」からきていて、動物の巣、すみか、人間の住んでいる場所という意味があります。

スピノザは「エチカ」の中で、人間一人一人の住まいや性質を踏まえての上手な生き方とはどういうものだろうかと考えていきます。

スピノザの考えたのは、「神について」「人間が幸せに生きる道」です。

「神」についての考えは、ユダヤ教にもキリスト教にもそぐわない異質なものでした。

「神」は、唯一絶対に確かな存在で、無限であり、全てのものは神の中にあり、全ては神のあらわれだという考えです。

いわゆる、汎神論です。また神は、自然、宇宙だとも言えます。

全ては神のあらわれと考えると、自然の中にある全てのものは「完全」であり、「不完全」なものはありません。あるものを見て、人が「完全」「不完全」と言っているのは、人間の中の「一般的観念」からであり、または「偏見」からです。一般的観念と違っていても、それは個々の個性であり、「完全」なものです。

そして、「善」と「悪」においても、そのものだけで善悪が存在しているのではないとスピノザは主張します。

「善および悪に関して言えば、(中略)思惟の様態、すなわち我々が事物を相互に比較することによって形成する概念にほかならない。
なぜなら、同一事物が同時に、善及び悪ならびに善悪いずれにも属さない中間物でもありうるからである。
たとえば、音楽は憂鬱の人には良く、悲傷の人には悪しく、ろう者には善くも悪しくもない」

物事はそのものだけで善悪を決めるのは難しく、「組み合わせ」の結果なのです。音楽そのものは良くも悪くもなく、一人一人の状況、状態によって善、悪、どちらでもないとなります。

また、善は「活動能力」を増大、促進するもので、悪は「活動能力」を減少、阻害するものです。

自分の活動能力を高めるために、自分が何との「組み合わせ」がいいのかをいろいろと「実験する」ことが大事なのです。自分にとって良いものは、「喜びの感情」を高めてくれ、活動能力もグーンと上がります。それは生きているのが楽しくて、やる気がバリバリ出てくる状態です。

「もろもろの物を利用して、それをできる限り楽しむ(・・・)ことは賢者にふさわしい。たしかに、ほどよく取られた味の良い食物および飲料によって、さらにまた芳香、緑なす植物の快い美、装飾、音楽、運動競技、演劇、そのほか他人を害することなしに各人の利用しうるこの種の事柄によって、自らを爽快にし元気づけることは、賢者にふさわしいのである」

賢者とは、いろいろと楽しみ方を知っている人とのこと、なんだか嬉しい考え方ですね。
私たち一人一人の個性を大切にして、自分に合った「活動能力」が増大するものを生活に取り入れ、心を喜びでいっぱいにしてわくわくする毎日を送ればいいのですね。
自分を大切にしている人は、他者も、また生きとし生けるもの全てをもいとおしく思い、大切にできると思います。

一人一人が幸せいっぱいになって、その喜びをみんなで分かち合える社会や世界になったらステキですね。

「私」の幸せ、そして「みんな」の幸せを心に置いて、願って、祈って、できることを行うことが、幸せに生きる道を歩むことになるのではないかと、私は思います。みんなで一緒に笑顔で歩んでいきましょうね。

2019年 4月 鴨川美津恵