◇放射能に対する知識が必要となった被災地
原子力災害を被った被災地の人々は放射線に対する知識を持つことが必要になってしまいました。私がはじめて福島県でテレビを見た時、天気予報のニュースでは「今日の各地の放射線量」も報じられていました。人々は放射能の単位であるシーベルトやベクレルという言葉を覚え、その数値の大きさがどのような意味を持つのかを自分で考えなければなりません。街を歩けばあちらこちらに「モニタリングポスト」が設置されていて、現在の放射線量の値が表示されています。日常的に放射線を意識しながら生活している状況であり、ここが西日本に住む人々の日常生活と大きく違うところです。
◇シーベルトとベクレルと安全基準
放射能に関する専門家の意見は統一されているものではありません。わずかな放射線の被曝でも健康に害があるとする人もいれば、わずかな放射線なら逆に健康に良いとする人もいます。一般の人々はあらゆる情報を集めて自分自身の知見を持つほど知識を深めたりする時間的余裕はなく、政府の発表する「基準値」をもとに、ベクレルやシーベルトの数値の意味を考えるのが一般的ではないかと思われます。
シーベルトとベクレルの意味と食品基準について、厚生労働省は次のように示しています。
シーベルトとは、「放射線による人体への大きさを表す単位」となっています。また、ベクレルとは、「放射性物質が放射線を出す能力の強さを表す単位」となっています。一般に、「放射能」という言葉はベクレルの意味に近いといえます。たとえば100ベクレルの放射能を持つ物質があってもそれだけでは人体への影響はわかりません。その物質にどれだけの距離近づいているのか、またはそれを手で持つのか、それとも食べたり飲んだりするのかということによって、人体への影響度が違ってきます。上図では、ある放射能を持つもの(ベクレル)を飲んだり食べたりして体に入れた場合、それがどれだけ人体に影響を及ぼすかということを「シーベルト」という単位であらわしたものです。放射能が放つ放射線の人体への影響を表す単位はあくまでも「シーベルト」になります。そして、食べ物や廃棄物という物質がもつ放射能の単位は「ベクレル」となります。その意味で、「ベクレル」を「シーベルト」に単純に換算することはできません。上図では、「体内に入れる」という条件のもとに換算していることになります。
私たちが放射線による人体への影響を知るには「シーベルト」であり、モニタリングポストに示されている数値も「シーベルト」の単位です。そのまわりの土壌がどれだけの放射能(ベクレル)があるかということはあまり気にすることはありません。今年2月に福島第一原発の2号機の格納容器内の放射線量が最大で540シーベルトであり、それは人がほぼ即死するレベルであることが報じられました。そこに何ベクレルの放射性物質があるのかというのは問題とされず、人体への影響を示すシーベルトの単位が重要視されます。「ベクレル」は、その物質を「食べるのか」、「触るのか」、「廃棄するのか」など、「処理」をするときに必要な単位だといえます。南相馬市で8000ベクレル以下の廃棄物は一般処理しましたが、それを超えるものは国の責任で特別処理しているというのが一つの例です。
ベクレルを測定するには特別な装置が必要なので、一般的にはシーベルトを単位とする線量計が普及しています。南相馬市では市民に対してシーベルトを単位とする線量計を無償で貸与しています。
◇ICRP(国際放射線防護委員会)の考え方
日本の放射線防護の考え方はICRP(国際放射線防護委員会)の勧告に則っています。その勧告(2007年勧告)によりますと、平常時における公衆のひばく線量限度は1年間に1ミリシーベルトとしています。また、福島第一原発事故のような緊急時においては、1年程度の期間の線量として20~100ミリシーベルトの範囲を放射線防護の基準値として定めるとしています。日本政府はこれに従い、事故後の避難区域を決める際に、年間被ばく量が20ミリシーベルトを超える可能性がある場所を指定しています。復旧時においては、1年程度の期間の線量として1~20ミリシーベルトの範囲で定めることになっていますが、現在の日本では20ミリシーベルトの基準は変わっていません。南相馬市の除染の最終目標としては年間1ミリシーベルトを目指すとされていました。ほぼ達成していますが、場所によっては除染をしてもその基準に到達できないところもあります。しかしそれはそこで生活できないということではなく、自己管理のもとで生活することは充分可能です。
健康に関するICRPの考え方は、低線量放射線の健康に対する影響として、累積被ばく線量100ミリシーベルトよりも低い線量では癌リスクの有意な増加は認められないというものです。これは、100ミリシーベルトを越えたらガンになるという基準値ではなく、また、100ミリシーベルト以下ならガンは発症しないということを証明するものでもなく、100ミリシーベルト以下の被ばくの影響は大規模な疫学調査でも検出できないほど微妙なものであり、現代の生物学でもってしても実態を解明することはできないということです。そのため、どんなに低い線量でも発がんの可能性はゼロではなく、その確率は線量に比例して増加するという仮定のもとに、放射線の安全規制が行われています。(直線しきい値なしモデル=LNTモデルと呼ばれています。)
こうした「仮定」をとっているため、ある線量をもって、安全と危険を分けることはできず、平常時における1ミリシーベルトという基準なども被ばく管理の一つの目安であるといえます。
◇リスクコミュニケーションの難しさ
日本政府がICRPの考え方を踏襲している以上、それをもとに、放射線の専門家や行政担当者は一般の人々に放射線についての情報を市民へ伝えなければなりません。東日本大震災のような巨大な自然災害や原子力災害による広範囲にわたる放射能汚染については、行政の危機管理能力を超えてしまうため、専門家や行政担当者が一般の人々へ一方的に説明するだけでは対応できず、市民の自助能力が不可欠になります。今回の場合におけるリスクコミュニケーションとは、専門家や行政、企業、市民の間で情報を共有し、意思疎通を図っていくことであり、お互いが建設的な合意に至ることが望まれるところです。
リスクコミュニケーションの特定の手法は存在しませんが、まずは情報を集めお互いに傾聴することから始めなければならないと思います。実際私も市民対応するうえで一番悩んだことでした。放射能に汚染されているのは間違いなく、モニタリングポストでも西日本の放射線量よりも高い数値が出ているので、発がんリスクが線量に比例して増加する仮説を取っている限り、それはリスクがあると認めなければなりませんし、被ばくは少しでも減らしたほうがいいのは間違いありません。しかしそのリスクの大きさは、普通に社会生活するうえで重要な因子となるかといえばそうとも言えず、そこは他のリスクの情報を提示しながら「一緒に考えましょう」ということなります。その情報とは、日本でのレントゲンなどでの医療被曝のレベルが年間平均3.9ミリシーベルトであることや、人体にはカリウム40という放射性物質が、成人には約4000ベクレルほど常時存在していること、あるいは喫煙による発がんは放射線量で換算すると1000ミリシーベルト分の被ばく量に相当することなど、ケースによってさまざまです。それらが市民にとってどれほどの意味があるものかは正直、わかりません。また、妊婦や乳幼児がおられる家庭と高齢者だけの世帯とは考え方は違ってきます。
放射線の人体に対する影響を侮ってはなりませんが、また怖がりすぎてもいけないと思います。そこが一番難しいところだと思います。また、線量基準値は安全と危険の境界線でもありません。原子力災害被災地の避難指示区域以外の場所では、避難するかしないか、また帰還するかどうかの判断を個々で行い決めなければなりませんでした。このストレスは、かなり大きいと思います。
◇自分で調べることの重要性
放射線に関する知識は多岐にわたり、テレビの情報が必ずしも絶対ではなく、さまざまな書籍についてもそれぞれの立場からの情報であり、そこから生じる対応についても人ぞれぞれになります。いずれにしても、自分で調べ、納得したうえでどのように生活をしていくかを決めることになると思います。
放射線に係る考え方については、別なテーマでまた書いてみたいと思います。
参考資料
厚生労働省「食品中の放射性物質の新たな基準値」
放射線被ばくの早見表
ICRP勧告と基準値の考え方(放医研ホームページ)
暮らしの放射線Q&A(日本保健物理学会)
原子力資料情報室ホームページ