ゼムリャキはチェルノブイリ被爆者の希望(お話)

19日にゼムリャキ応援団のDVD作成をお願いした滋賀県の宮腰吉郎さんが宇部に来られ、ときわ湖畔ユースで打ち合わせをします。年末から2ヶ月ウクライナを訪問し、前回撮影できなかったものを撮りに行かれる予定です。

ちょうど12月28日にゼムリャキでクリスマスと新年を迎えるためのイベントがあって、毎年そこで、私たちの支援で用意された福袋が特に貧しい被曝者のみなさんに手渡されることになっています。集まることができない不自由な方にはスタッフが届けて下さっています。

えんどうまめのチェルノブイリ支援に協力してくださっているみなさんの真心がこのような形で喜ばれていることを、ぜひご紹介したいと思って、宮腰さんはキエフに向かわれます。宮腰さんのような方がおられ、撮影で私たち活動に協力してくださること、ほんとうにありがたく思っています。
私がゼムリャキという団体に魅かれ、応援したいと思っている理由を述べたいと思います。

まず、ゼムリャキには「愛」があることです。

この団体の設立には経緯があります。それは1970年代にさかのぼり、ソ連でチェルノブイリ原発が計画され建設された当時、それは、科学技術の粋を集めた未来への希望そのものだったそうです。優秀な技術者がソ連全土から集められました。
広いソ連各地から集まった若い技術者たちは、そこで結婚し子どもたちを育てていきます。ロシア語が共通語といっても、さまざまな言語が使われていました。そこで、新しい場所に集まった人々が心をひとつにすることが求められ、文化活動を通してひとつになっていくことになりました。プリピャチの中央の文化会館で、さまざまな文化活動が展開されました。演劇、音楽、詩作、絵画、ダンスなど色々です。職員としてその中心にいたのが、現ゼムリャキ代表のタマーラさんです。

ちなみに、宮腰さんのインタビューに登場するガリーナさんは、当時幼稚園の園長先生でした。

事故のあとプリピャチに住む4万人の人々はソ連全土に疎開し、その内2万人以上が首都キエフに移住先のアパートを与えられました。それがゼムリャキのあるディスニャンスキー地区です。森と川のそばの美しい小さな町プリピャチから大きなキエフに移った被曝者のみなさんは、しばらくして落ち着いて、プリピャチで仲間だった人たちの消息を知りたいと思うようになりました。
そこで頼りになったのが文化会館で活動の中心だったタマーラさんです。

タマーラさん

 みなはタマーラさんに「○○さんはどこにいるかしら?」と尋ね、タマーラさんは○○さんを探し始めました。このようにしてタマーラさんの周りに被曝者の所在が明らかになっていくと、次にはその被曝者の置かれている厳しい状況も明らかになり、それに対処して彼女は支援の呼びかけをはじめました。

支援活動の拠点として、前述のガリーナさんがキエフに移住した後勤務していた幼稚園の一室が利用できるようになりました。場所を得たゼムリャキは、被曝者の問題に対応するだけでなく、プリピャチで行っていた文化活動を再開しました。芸術は彼女たちにとって必要不可欠なものでした。
また、キエフで親になった被曝者たちにとっても、生まれた子どもたちの問題を理解しあい、見守り育てあう環境が必要でした。

こうしてゼムリャキは1986年の秋にはすでに活動を始めていたのです。

ゼムリャキのある建物(キエフ)

 はじめは国際的な支援を受けていたゼムリャキも事故から20年も経つと、支援者もなくなり、今ではジュノーの会とチェルノブイリ救援中部の有志とえんどうまめだけになっています。

長くなりましたが、このゼムリャキの活動を継続させているのは、互いへの仲間としての「愛」です。観念だけでは経済基盤のない活動を続けていくことは難しいことですが、「愛」が原動力なので、自分自身も貧しく病気がちな被曝者のみなさんが、わずかなものを差し出しあって、自分よりもっと大変な人たちを支えているのです。

私が感動したのはこの「愛」にです。

次には「平和への思い」です。

ゼムリャキのタマーラ代表とスタッフのメンバーたちは、チェルノブイリの大きな犠牲を二度と繰り返させないために、平和を求めています。チェルノブイリ原発が核兵器の原料のために作られたことがわかっているからです。原子力ではなく別のエネルギーを求め、核兵器の使用のない平和な世界を作ることが、チェルノブイリ犠牲者の使命だと認識しているのです。

彼女たちは、平和の折鶴のような「平和の鳩」の折り紙を考え出し、平和のメッセージを印刷した用紙で鳩を折ってもらう運動を展開していました。
また、子どもたち対象に、チェルノブイリからの平和をテーマにした絵画コンクールを催し、優秀作品を表彰し続けています。えんどうまめの支援金はその表彰式にも使われています。
もちろん彼女たちはすべてを無報酬で行っています。愛の思いで続けているのです。

最後に「やさしさと明るさ」です。

なんと言ってもゼムリャキの魅力はその明るさです。愛と平和を求めていても難しい顔をして議論し合っているなら、近寄りがたかったかもしれません。でも、彼女たちは本当に明るく、思いやりのあるやさしい心で支えあっています。

えんどうまめも明るい会です。暗かったら続けていけませんから。

私はキエフで妹のようなタマーラさんに出会ったのです。それはすごいことです。彼女は私より少し遅くこの世に生まれ、ソ連で文化活動の仕事をし、事故で被曝して自分も体調が悪いのに、被曝者のお世話をし、文化活動を再開し、平和のために催し物を続けているのです。

私は、父が広島から疎開していて原爆で死なずにすんだので生まれ、それゆえに平和への願いが強く、えんどうまめを始めて平和を願って歩みだし、翌年に起こったチェルノブイリ原発事故の被曝者に平和の心で寄り添い続けたいと思ってきました。私たちは国は違っても同じ思いで生きています。

支えあうのは当然のことです。お互いの役目を果たしあうために、お互いが必要なのですから。

えんどうまめにつながっているみなさんの平和の思いを、被曝者として平和を願っているキエフのゼムリャキに届けます。安心して思いを託してくださいね。

ゼムリャキのみなさんは私を通してまだ会っていないみなさんへ深い感謝と尊敬を感じてくださっています。制作予定のDVDは思いやり深く私が尊敬しているみなさんと、ゼムリャキの尊敬するメンバーのみなさんとをつなげる架け橋です。

お互いの人生がこの出会いで豊かになることと信じています。
つながってくださってほんとうにありがとうございます。