3月12日に、原発から20km圏内に避難指示が出されたものの、具体的な避難方法など政府から南相馬市へ連絡はありませんでした。そこで南相馬市は、独自の判断によって市民を避難誘導することになります。
◇独自の避難計画策定
政府から急に原発から20km圏内の住民は避難せよと命じられても、10,000人以上の人々を避難させることは容易ではありません。一自治体だけでとても対応できるものではなく、国や県の協力のもとに、移動手段の確保や移動ルートの選定、受け入れ先の合意など、あらかじめ決めておく必要があります。これまでは原発から10km圏内までは緊急時の避難計画を策定していて、実際に、大熊町や双葉町の住民は速やかに避難を行いました。しかし、南相馬市はそのような想定はなされておらず、避難指示が出ても国からも東電からも何の連絡も来ない状況でした。ただでさえ地震や津波の被災者が市内の各避難所に集まっている状況であり、また、15日には20km~30km圏内の屋内退避指示が発令され、避難所は気密性の高い場所を選ばなければならなくなりました。さらに、放射能を恐れて30km圏内には物資も運び込まれなくなり、いよいよ、市外への避難を進めなければならない状況になりました。この日から南相馬市独自の判断で緊急避難計画を策定し、避難を開始していくことになります。
◇新潟県知事からの申し出
そのような状況を全国に発信したくてもマスコミの記者たちは一早く避難していて、電話でしか取材してこないありさまでした。16日、南相馬市の桜井市長がNHKの電話取材を受けた直後に、新潟県の泉田知事から市長へ電話がありました。それは「南相馬市の避難者をすべて受け入れます。」との申し出でした。新潟県には柏崎刈羽原発という世界最大級の原発があり、緊急時への対応策も策定されていて避難民への対応のノウハウを持っていますので、南相馬市の避難者の受け入れの判断も迅速に行われたのではないかと思います。
17日には避難に関する住民説明会を開き、18日から県外への避難が始まりました。これから南相馬市民は新潟県をはじめ、多くの自治体へ避難していくことになります。
〇南相馬市災害記録より引用
結局、政府からの要員として政務官が南相馬市に来訪したのが3月17日、東電からの連絡があったのは21日のことでした。南相馬市はすでに独自の避難計画を策定し、実行に移していたのでした。