南相馬市の受難②~想定外だった20km圏内の避難指示~

ここで、福島県南相馬市の位置を確認します。福島県の太平洋沿岸に位置し、人口71,561人(震災前・現在は55,186)で、南側から(福島第一原発に近い側から)小高区、原町区、鹿島区という構成になっています。偶然ですが、およそこの区分けに沿うように避難指示等の線引きが行われていくことになります。

《3月12日》
◇00時06分 1号格納容器圧力が上昇、吉田所長ベント準備指示
格納容器とは、原子炉等原発の重要部分が収められている容器のことをいいます。過酷な事故の際にも最後の防壁として機能するものです。チェルノブイリ原発ではこの格納容器がなかったため、大量の放射性物質が飛散してしまいました。

原子力安全保安院の見解によると、地震発生から5時間後には福島第一原発1号機でメルトダウンが始まっていたということです。そのため、格納容器内の温度が上昇、それに伴って圧力も設計限度圧を超えてしまい、破裂が懸念されるようになりました。これをなんとしても防ぐために、格納容器内の圧力上昇をおさえるためのベント(排気)作業を成功させなければなりませんでした。ここから現場の労働者たちの過酷なたたかいがはじまります。

◇05時44分 政府、1F1号機のベント(排気)の遅れにより、格納容器破裂の恐れがあるため、半径10km圏内に避難指示拡大
原子力防災計画を策定していた大熊町、双葉町の住民は東電が用意したバスで迅速に避難しています。
◇06時50分 海江田経産相によるベント命令が東電に出される。
◇07時11分 菅総理、1Fで吉田所長らと面会
◇14時30分 1号機ベント成功
◇15時36分 1号機原子炉建屋が水素爆発
ベント成功によって格納容器の圧力は低下したのですが、建屋内に溜まった水素を排気できませんでした。ベントによって水素が建屋に流れ込んだという説もあり、ベントは格納容器を守ることには成功した一方で、水素爆発を防ぐことができなかったという意味では失敗だったともいえます。
◇18時25分 さらなる爆発を危ぐし、20km圏へ避難指示拡大
2号機、3号機も危機的な状況が続いたため、避難指示範囲が20km圏まで拡大され、とうとう南相馬市の小高区がその範囲に入ってしまい、12,000人以上の住民が避難を余儀なくされる事態となってしまいました。国が定めた原子力防災計画には原発から20km圏の避難計画は想定されてなく、また、事故後も国や東電から連絡が来なかったため、南相馬市は独自の判断で住民の避難誘導を行わなければならないという事態に至ってしまいました。