南相馬市は、震災関連死者数が最も多いことで知られています。南相馬市の状況を知ることで、原子力災害の影響ががどのように市民生活へ及んできたかを考えてみたいと思います。
東日本大震災における震災関連死者数
福島県内の震災関連死者数の内訳
南相馬市の震災関連死者数は一番多いですが、原発に近い浪江町や富岡町もかなり多く、人口比で比べると、南相馬市よりも高い率で震災関連死が発生しているといえます。ちなみに、同じ被災地でも100万都市の仙台市は265人、福島県外で最も多い都市の石巻市でも274人です。南相馬市の506人という数字は異様に多いことがわかります。これは、福島第一原発の事故の際、避難指示エリアの変更が何度も行われ、そのストレスによるものだと考えられます。
南相馬市の場合は、避難指示エリアの20km圏内に12,000人以上の住民がいて避難を余儀なくされ、また、20km~30km圏は屋内退避指示が出され、のちに自主避難も呼びかけられました。全市民が避難するのなら市役所は閉めて職員も避難できたのですが、人口が一時期1万数千人にまで減っても住民がいる以上は、職員は逃げるわけにはいきませんでした。
また、この線引きによって賠償金も差がつけられることになります。同じ自治体で避難エリアの線引きが行われ、避難する場所とそうでない場所に分けられ、さらには賠償も異なることになりました。このように、南相馬市は避難エリアの変更によってもっとも翻弄された自治体だといえます。
私も3年間、除染事業に携わった自治体ですので、南相馬市がどのような困難な状況にあったかということを振り返りたいと思います。