〇長い間心に留めていたテーマ
チェルノブイリ原発事故の被ばく者支援に関わってもう30年近くになります。ウクライナに10回以上訪問し、現地の人々と交流する中で、二つのことが私のテーマとして頭に留め置かれていました。どちらも第二次世界大戦に関することです。
一つは、ウクライナが第二次世界大戦でどのような被害を受けてきたのかということ。もう一つは、大戦末期に満州に進軍してきたソ連軍のロシア人(ウクライナ人を含む)は日本人にとって忌むべき民族であるのかということです。これはチェルノブイリ原発事故被ばく者への支援活動に対して、ソ連が満州で行ってきた日本人への残虐行為に憤る人たちからの批判があったことから、旧ソ連の人々を支援することが歴史を知らぬ愚かな行為なのかという一抹の疑念を払しょくできないでいたことから自分のテーマとなっていました。
最近、『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』(大木毅・岩波新書)という本を読んで、そのテーマの答えに近づけたように思いましたので書き留めておきたいと思います。
20数年前、キエフにあるチェルノブイリ原発事故被ばく者互助団体ゼムリャキに、広島の支援団体と一緒に初めて訪れたとき、広島の語り部の女性が原爆の体験談を話す時間がありました。広島の団体としては、原子力災害を被ったチェルノブイリ被曝者への連帯のために語り部の話を用意したのだと思います。しかし途中で、一人の男性が話を遮り、イライラした感じで「キエフもドイツに攻め込まれて悲惨な体験をしたんだ!」という趣旨の発言をされました。戦争体験の話であれば、キエフも十分悲惨な体験をしているのだということをこの男性は伝えたかったのだろうと思います。広島の団体の意図をくみ取っていただけないことは残念でしたが、私はこの男性の発言が気になっていました。当時の私は独ソ戦についてまったく知識がなく、歴史を学ぶ素養も不足していたので、調べてみようにもハードルが高く、今日に至っていました。
この本の著者は冒頭に次のように述べています。
「この戦争は、あらゆる面で空前、おそらくは絶後であり、まさに第二次世界大戦の核心、主戦場であったといってよかろう。」
日本人にとって、戦争といえばアジア太平洋戦争のイメージが強く、ヨーロッパの戦場についてはあまり知られていないのではないかと思います。そこで、独ソ戦が第二次世界大戦の核心、主戦場であったという言葉の意味を理解するために、日本、ソ連、ドイツの戦死者数を比較してみます。
◇日本の戦死者数(1937年~1945年/民間人含む)
1937年(日中戦争開始時点)の日本の人口 約7138万人。
動員された戦闘員の死者数 210万人〜230万人。
非戦闘員の死者数 55万人〜80万人。
合わせて約300万人の犠牲者数で、人口比の約4%にもあたります。その中には、本土大空襲、沖縄戦、広島・長崎の原爆投下、満州からの逃避行、シベリア抑留など、数々の悲惨すぎる現実を思い起こすことができます。
一方、独ソ戦での死者数は次のとおりです。
◇ソ連の戦死者数(1939年~1945年)
1939年(第二次大戦開始時)のソ連の人口 約1億8879万人。
第二次大戦で失った戦闘員の死者数 866万8000人〜1140万人
軍事行動やジェノサイドによる民間人の死者数 450万人〜1000万人
疫病、飢餓による民間人の死者数 800万人〜900万人
冷戦時代、死者数は国力低下のイメージを与えてはならないという配慮から公式には2000万人とされていましたが、ソ連崩壊後の正確な統計では、約2700万人が失われたとされています。これは当時の総人口の約14%に相当します。
◇ドイツの戦死者数(1939年~1945年)
1939年の総人口 6930万人
戦闘員の死者数 444万人〜531万8000人
民間人の死者数 150万人〜300万人(独ソ戦以外も含む)
平均値750万人として、総人口の約11%が失われたことになります。
こうした犠牲者数の多さは、通常の戦争とは異質なものであることを示しています。戦争とは、ある政治目的を実力で達成させる手段であり、それが達成されたら終えるか、または妥協して終わらせることになります。十分悲惨すぎる日本の戦死者数300万人を大きく上回る、ソ連2700万人、ドイツ750万という犠牲者を出してしまった独ソ戦とはいったい何を目的としていたものだったのでしょうか。
本書では次のように書かれています。
「独ソ戦を歴史的に際立たせているのは、そのスケールの大きさだけではない。独ソともに、互いを妥協の余地のない、滅ぼされるべき敵とみなすイデオロギーを戦争遂行の根幹に据え、それがために残酷な闘争を徹底的に遂行した点にこの戦争の本質がある。およそ4年間にわたる戦いを通じ、ナチスドイツとソ連のあいだでは、ジェノサイドや捕虜虐殺など、近代以降の軍事的合理性からは説明できない、無意味であるとさえ思われる蛮行が幾度も繰り返されてきたのである。」
ドイツのヒトラー、ソ連のスターリンともに、敵を仮借なく絶滅させるための思想を構築していました。ヒトラーは、この戦争を、ユダヤ的共産主義を打倒し、ゲルマン民族より劣等であるスラブ民族を奴隷化するための戦争とみなしました。それは世界観の異なるものへの仮借なき皆殺しの闘争であり、絶滅戦争に他なりませんでした。
一方、ドイツによる侵略を受けたスターリンは、ロシアを守るための「大祖国戦争」と規定し、ドイツを道徳的、倫理的に許されない敵とみなし、報復感情を正当化します。
「ドイツ人は人間ではない。あなたがドイツ人一人を殺したら、次の一人を殺せ。ドイツ人の死体にまさる楽しみはないのだ。」
こうしてソ連軍の戦時国際法を無視した行動もまたエスカレートしていきました。そして、ソ連にとって重要な防衛拠点だったウクライナのキエフが最も激しい主戦場の一つとなったのでした。