◆アケメネス朝ペルシア
紀元前10世紀ごろダビデ王、ソロモン王の下で隆盛を誇っていたヘブライ王国(統一イスラエル王国)は、ソロモン王の死後衰退していき、北にイスラエル王国、南にユダ王国と分裂しました。その後、イスラエル王国は前722年にアッシリアに滅ぼされ、ユダ王国は前586年に新バビロニア王国に滅ぼされました。
ユダヤ12支族のうち、10支族はイスラエル王国に、2支族はユダ王国に住んでいたといわれています。滅ぼされたイスラエル王国の10支族の行方は謎のままで、このうちのいくつかが東方へ逃れ、日本にもたどり着いたのではないかという説もあります。一方、ユダ王国の2支族はバビロンへと強制移動させられ、バビロン捕囚という民族的苦難を強いられました。のちにバビロン捕囚から解放されエルサレムに戻り、神殿を再建してユダヤ教を確立したのがこの2支族です。
バビロン捕囚のユダヤ人を紀元前538年に解放したのは、新バビロニア王国を滅ぼしたアケメネス朝ペルシア帝国のキュロス大王でした。帝国の領域は東はインドから西はエジプトやトルコへ及ぶ広大なもので、軍事力だけでなく統治方法も優れていました。それは被征服民の安全を保障し、その財産を保全し、信仰の自由を保護したことにあります。基本的に税を納め、兵を提供すれば他は自由でした。エルサレムもペルシア帝国の中にありましたので、捕囚から解放され、エルサレムに帰ったユダヤ人たちに信仰の自由を妨げるものはありませんでした。キュロス大王の保護がなければユダヤ教は衰退し、キリスト教も成立することはなかったかもしれません。
帝国内の各部族に信仰の自由を与えた一方で、部族間の枠をこえて広がっていったのがゾロアスター教でした。アケメネス朝の後継であるササン朝ペルシア帝国ではゾロアスター教が国教として定められました。長くペルシア帝国の支配下にあったユダヤ人たちがゾロアスター教の影響を受けないはずはなく、ゾロアスター教の特徴である善悪二元論はユダヤ教に組み込まれていきます。
◆ゾロアスター教とは
ゾロアスター教はペルシア人のツゥラトゥストラがアフラ・マズダの神を奉じて始めました。拝火教と呼ばれ、火を拝む宗教です。火は穢れを清める力を持つとして神聖視されました。砂漠の多い乾燥地帯で火にくべる薪がない中で、永遠の火を燃やす神殿が多く建設されたのは、地下からが噴き出す天然ガスによるところが大きかったようです。
ゾロアスター教聖火台
ゾロアスター教には三つの柱があります。一つ目は、善悪二元論です。歴史は善と悪の戦いであり、光と闇の闘争であるということです。善を主導するのはアフラ・マズダという神であり、悪を主導するはアーリマンという悪霊で、人間はアフラ・マズダとアーリマンの戦いに参加してアフラ・マズダの側に立って正義の実現に努めるべきであるという考え方です。この善神アフラ・マズダが普遍性を持つがゆえに、ゾロアスター教は部族間を超えて広がっていったとみられています。ちなみに、日本の自動車メーカーのマツダの社名はこのアフラ・マズダを由来としています。マツダの英訳名がMAZDAとなっているのはそのためです。
二つ目は終末論です。善と悪の戦いには終わりがあり、最後の審判を受けるという考えです。
そして三つ目が救済論です。救世主が現れて正義の世を開きます。そこではアフラ・マズダに導かれた人々は天国が約束され、アーリマンに従った人々は永遠の呪いがあるということです。ゾロアスター教の救世主をサオシュヤントと呼びます。
◆ゾロアスター教の影響
善と悪の戦いという二元論、歴史には終わりが来るという終末論、善行を重ねたものは救われるという救済論、これらはユダヤ教、キリスト教、イスラム教に影響を及ぼしているといえます。唯一神を信仰するこれらの宗教が多神教のゾロアスター教の教義を取り込んでいる点は興味深いと思います。
また、ゾロアスター教は仏教にも影響を与え、日本にも至っています。中央アジア経由で仏教に融合されて日本に来た神としてミトラ神があります。アフラ・マズダの下位の神で、漢訳されて毘沙門天となったという説があります。ミトラ神には千の耳があるといわれ、それが多聞天つまり毘沙門天となったということです。
善國寺毘沙門天 https://www.kagurazaka-bishamonten.com/
ゾロアスター教は今日の主要な宗教に影響を与えているといえます。
個人的には、特に「歴史は善と悪との戦いである」という教義に魅かれています。今まさに、そのことを感じています。
参考;詳説世界史研究、 国際理解のために(放送大学教材/高橋和夫)