キリスト教の光と闇

 私はクリスチャンではありませんが、信者さんとのお付き合いやキリスト教圏の国の人々との関係もあって、キリスト教にはとても興味を持っています。キリスト教についてこれまで感じてきたことを率直に述べてみたいと思います。

◆キリスト教の伝道
 キリスト教はイエスが処刑されたのちに弟子たちがイエスの教えをもとに教義を確立させていきます。その中心的な役割を担ったのが、一番弟子のペトロでした。彼はユダヤ人たちに伝道をはじめ、パレスチナから西方のギリシャ方面の都市で活動を進めて行き、信者の共同体である教会が生まれていきました。ペトロは初代ローマ教皇とされています。
ペトロ/ルーベンス
 
 
 異邦人への伝道を積極的に行ったのはパウロでした。彼はユダヤ教の律法学者だったのですが改宗し、多くの書簡を残してキリスト教の教義を作り上げていきます。キリスト教の基礎を作ったのはパウロであるといってもいいかもしれません。
パウロの回心/ピエトロ・ダ・コルトーナ

 神の前では皆平等であり、神の愛はすべての人に注がれるというイエスの教えが人々に浸透していくことは自然の摂理であると思います。高校の世界史参考書「詳説世界史研究」にはキリスト教が人々をひきつけた理由として次のように書かれています。
 「信者間の密接な関係、女性や貧民・奴隷も平等に礼拝すること、病人や死者に手厚く接することなどが知られるようになったことがその理由であったろう。都市の富裕な階級もしだいにキリスト教に改宗するようになった。」
 社会的に虐げられていた人々が、生きることの意味をイエスの教えによって見出すことができたのならその教えは救いであり、目に見えない尊い神の存在を意識することによって、つらい現実も乗り越えられるものとして認識できたのではないかと思います。
 日本でも鎌倉時代の仏教が似たような展開をしました。それまでの仏教は貴族や皇族たち上層民のためのものであり、現実の庶民の生活には興味を持ちませんでした。しかし、鎌倉新仏教の教祖たちは「人々をどうしたら救済できるか」を真剣に考えて「仏の前での平等」という概念をどのように実現させるかを試みました。その結果、仏教は一般民衆の心をとらえ、地方へも伝播していくことになります。
 現代文明の先進国に住む人々にはわかりにくいことかもしれませんが、洋の東西を問わず、戦乱や飢饉、疫病による社会不安に直接さらされる庶民にとって、魂の救済へと導いてくれる教えは大きな精神的支えだったと思います。

◆地の塩・世の光
 日本でキリスト教の学校がはじめて創立されたのは明治時代、新島襄による同志社英学校でした。それから多くのミッション系の学校が建てられました。その教育方針でよく取り上げられるのが「地の塩・世の光」という聖書の一説です。地の塩のように世の中の役に立ち、光のように世を照らしなさいということでしょう。もっと深い意味として、プロテスタント系の青山学院大学のホームページから一部引用します。

「地」も「世」も大地や世界という意味よりも「神なき現実」「人間の尊厳を失わしめるような状況」の代名詞です。そうした中で私たちは、神の恵みにより「塩」であり「光」とされているのですから、青山学院に集う者はオンリー・ワンとしての存在感を発揮していくのです。

 聖書の「地の塩、世の光」の一説は、神の道具として使わされている人々の役割が示され、一つの道徳律ともいえます。特にキリスト教圏の国では、聖書の道徳律は社会秩序を維持する法律と補完しあいながら人々の平安な暮らしを実現させているのではないかと思います。

 一方で、キリスト教はイエスの教えとは真逆のことも数多く行ってきました。

◆教会の世俗化と腐敗
 ローマ帝国時代のキリスト教は多くの弾圧や迫害を受けてきました。しかし、信仰はカタコンベと呼ばれる地下墓所で根強く続けられていき、ついには313年、コンスタンティヌス帝によるミラノ勅令でキリスト教は公認されました。さらに392年にはテオドシウス帝によって、キリスト教正統派(カトリック)が国教とされます。
 この時の状況を「詳説世界史研究」より引用します。
 

教会は皇帝の支援をうけ、大都市の教会を中心として組織を大きくし、農村にも信者は増えていった。教会は免税などの特権によって豊かになり、貧民への施しも制度としておこなわれるようになった。司教は教会だけでなく一般社会や政治に対しても指導力をもった。

 こうしてキリスト教は広がっていき、特に西ヨーロッパでは信仰を通して生活や文化などあらゆる面で大きな影響を及ぼしていくことになります。
 イエスの教えが世の隅々まで伝道されれば平和な世の中が実現できるはずなのですが、実際にはそうなりませんでした。政治権力と並ぶ大きな力を持つようになった教会は世俗化や腐敗が進むようになります。教皇の権威と権力を発揮して異教徒の殺戮を行った十字軍はその代表的な例だと思います。

◆十字軍
 11世紀、キリスト教会は西のカトリック教会と東の正教会が並立し、お互いが破門しあうという状態でした。そこへイスラム教のセルジューク朝トルコが東ローマ帝国(ビザンツ帝国)に攻め込み、首都コンスタンティノープルが陥落寸前になります。この時のローマ教皇ウルバヌス2世は東の正教会を吸収するチャンスと見て、援軍の兵を募りました。この時、遠征に加わるものには「贖宥」(罪の許しにともなうつぐないの免除)という特権を与えるとしたのです。戦いに参加したものはすべての罪が許され、素晴らしい来世が約束されるというものです。
 この人の弱みに付け込むマインドコントロールによって大勢の騎士団が編成され、第一回十字軍は出撃しました。そしてエルサレムを占領した十字軍はユダヤ教徒やイスラム教徒の大量虐殺を行い、1099年、エルサレム王国を建国しました。この国は十字軍遠征が続く1291年まで存続します。

中世の写本に描かれた第1回十字軍のエルサレム攻撃

 イエスがこのようなことを望んでいるはずもなく、キリスト教の根本教義とは大きくかけ離れるようなことが起きたのが十字軍遠征だったといえます。もはや神とは対極のものを崇拝しなければできないような事件でした。

◆キリスト教の中に潜む悪魔
 すべての人々は神の前に平等であり、敵のためにさえも祈りを捧げよというイエスの教えとはまったく逆のことが十字軍のあとも行われています。
 中世に入るとローマ教皇は贖宥状を販売し、教会建設の資金などにあてていました。贖宥状を買えば天国が約束されるという馬鹿馬鹿しいものですが、当時の社会不安にかられた民衆はそれを買い、有力貴族なども教皇に土地の寄進を行いました。そのような教皇の腐敗を批判したプラハ大学のフス教授は火刑に処せられ、プラハ市民の反乱を招きます。これはフス戦争と呼ばれ、のちにドイツを舞台に行われた三十年戦争の遠因となります。三十年戦争とは、1628年~1658年まで続いたカトリック教徒とプロテスタント教徒の殺し合いで当時ドイツの人口の20%が失われた悲惨な戦争でした。こうなってくると、何のためのキリスト教なのかわからなくなり、神ではなく悪魔を信仰しているのではないかと思うほどです。
 近代の大航海時代に入ると、キリスト教宣教師は海外へと向かい、異教徒と遭遇することになります。スペインは中南米を侵略し、莫大な金銀宝石類、プランテーションによって生産された砂糖を本国にもたらしました。スペイン王室は、スペイン人入植者に対し、それぞれの地域の先住民をキリスト教に改宗させ、「保護する」ことを口実に、彼らに租税を課し、労役させる権利を認めました。これは先住民を事実上奴隷とすることです。これに対してドミニコ会修道士ラス=カサスは激しく抗議しました。彼は「インディアスの破壊についての簡潔な報告」の中で、キリスト教徒のスペイン人によるアメリカ大陸先住民に対する非道な所業を詳述しています。
 スペイン人宣教師は日本にもやってきて、各地の戦国大名に対し、布教の認可を条件に貿易を行いました。九州にはクリスチャン大名が生まれ、その一人である肥前国の大村純忠はイエズス会の教会に長崎を寄進しています。危機感を持った豊臣秀吉はバテレン(宣教師)追放令を出して対処しました。宣教師は異教徒を改宗させて抵抗力を削ぐ役割もあります。秀吉への評価は様々だと思いますが、この追放令がなかったら九州はフィリピンのように侵略されてスペイン領になっていたかもしれません。
 
 先の大戦では、日本はキリスト教国のアメリカと戦いました。お互いに大義はあったと思います。しかし、アメリカが長崎の浦上天主堂上空で核爆弾を炸裂させたのはなぜでしょうか。長崎市の中心部から離れた場所に核爆弾を投下する戦略的理由はなんだったのでしょうか。戦艦を建造していた軍需工場を狙うなら長崎市の沿岸部にありました。

 浦上天主堂は爆心地から500メートルの至近距離です。狙って投下したとして、高速で飛行する爆撃機からでは誤差の範囲だと思います。当時、東洋一の大聖堂を誇り、15000人のキリスト教信者が住んでいた地域です。日本では珍しい場所でした。そのことをアメリカが知らないはずはなく、クリスチャンであれば原爆投下を避けたくなる場所です。しかしそこを狙ったかのように投下しました。私はアメリカのクリスチャンの中に反イエス、つまり悪の存在があったと思っています。そして今もそれは、アメリカに隠然と力を保持し続けていると思います。

原爆に対するオバマとプーチンの反応

 キリスト教にはイエスの光の部分と、真逆の闇の部分があるように思います。闇の部分とはイエスを十字架にかけた勢力であり、“悪魔”だといえます。悪は善のすぐそばにいて、善の衣を着て悪をなすということは、歴史の事実としてありえます。ゾロアスター教の「歴史は善と悪との戦いである。」という教義は、今もキリスト教の内部でも生き続けているように思います。